縄文文化編ストーリー 縄文と札幌 ー さっぽろの縄文を追う ー
日本列島には、旧石器時代から連綿と続く人々の暮らしの痕跡がたくさん残されています。
ここ札幌でも旧石器時代のものと見られる石器が見つかっていますが、人口200万人に迫る大都市となった札幌の地で、人々が集落をつくって暮らしていた明らかな痕跡は、今から約8000年前頃の縄文早期に現れはじめます。
縄文の特色を決定づける「土器」の発明は、地球温暖化による気候変動と環境変化の中にあって、人々の食生活に劇的な変化をもたらしました。食材を煮沸することで栄養・衛生面が飛躍的に改善され、狩猟・漁労・採集という複合的な生業活動による安定的な食料調達サイクルを確立させたことによって、定住する狩猟採集民が誕生したのです。さらには、定住がもたらした生活の余裕によって、豊かな精神的・芸術的文化が花開いていったと言えるかも知れません。
私たちが暮らす北の大都市「札幌」のまちなかにも、その足下には、たくさんの縄文遺跡が埋もれていて、今の私たちの暮らしは、まさにその上に築かれています。この札幌の「縄文」がどんな姿をしていたのか、その痕跡を辿ってみると、自然と調和し他地域とダイナミックに交流しながら、豊かな暮らしと高度な文化を育んだ先人たちの姿が見えてきます。
札幌の縄文の姿とは
2021年7月「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されました。「北海道・北東北の縄文遺跡群」とは、“津軽海峡を挟んで、北は札幌、南は盛岡・秋田辺りまでを円で囲んだ地域一帯をひとつの文化圏として、およそ1万年以上にも渡って繁栄した縄文文化を代表する遺跡の集まり”のこと。
札幌に一番近いところでは、縄文後期の記念物(構築物)で有名な「キウス周堤墓群」(千歳市)が世界遺産を構成する資産のひとつになっています。
では、構成資産を持たないここ札幌はどうだったのでしょうか・・・?
実は、札幌でも縄文の遺跡はたくさん見つかっています。意外に知られていませんが、札幌は市域内だけで様々な地形を見ることができる珍しい地理環境にあります。道央と道南を分断し市域の南西部を大きくしめる山地地域。今から約4万年前の支笏カルデラ超巨大噴火を物語る南東部の台地・丘陵地域。豊平川によって形成された扇状地は教科書のような扇形を形成し、そして縄文海進と呼ばれる温暖な時期には大部分が内湾となっていた市域北部。その内湾が消失していく過程でできていった砂丘地帯。やがて寒冷化と河川が運ぶ土砂によって内湾が陸化した結果、広大な湿地や泥炭地を形成した北部低地。そこを縦横に巡る河川とその河川がつくる自然堤防など、ひとつの行政区でこれだけバラエティに富んだ地形が観察できる大都市は中々ありません。
札幌の縄文文化の痕跡は、この地を潤す大小の河川に沿うように、山合から台地・丘陵、平地から低地、石狩湾近くの海岸砂丘まで至るところに残されていて、市内でこれまで見つかっている縄文遺跡の数は270か所以上にものぼります。まさにここ札幌は、縄文のむかしから人々にとって暮らしやすく豊かな土地だったのです。
札幌の縄文遺跡の変遷
そんな中で、今から約8000年前頃の縄文早期、この札幌の地を生活の舞台に選んだ人々が現れます。この頃、地球規模の急激な温暖化は既にピークを迎えていて、今よりも年平均気温で2℃ほど、海水面も2~3mほど高く、現在私たちが見慣れた“札幌”とはまったく違う風景が広がっていました。藻岩山・円山などはもちろん、天神山の上からも、眼前に広がる海や入江が見おろせていたはずです。人々は、東部の台地や丘陵の河川沿いに居を構え、山海の豊かな自然の恵みを上手に利用しながら、長きに渡ってこの地に暮らし続けていたのです。
気候の温暖化がピークに達すると、今度は静かに寒冷化が進行していきます。約6000年前頃までには、大小の河川が土砂を運び内湾は消失しますが、縄文中期に相当する約5500年前頃から4500年前頃までは比較的安定した温暖な気候が続き、縄文のなかで最も多くの遺跡が残されます。この頃から、彼らの居住域は東部の台地・丘陵に加えて、発寒川扇状地や紅葉山砂丘にまで広がっていきます。その後、今から約4000年前頃の縄文後期以降は、寒冷化とともに遺跡の数は目に見えて減っていき、それまでほとんど遺跡が残されることのなかった札幌扇状地や沖積平野の低地部にも遺跡が残されるようになっていきます。札幌の地で人々が暮らし始めてから6000年という膨大な月日が流れ、縄文文化も終わろうとする今から約2300年前頃、ここ札幌での暮らしはどのように変化していったのでしょうか?
現代の私たちにとっては、永遠とも思えるほど長きに渡って続いていた縄文文化が、続縄文文化へと移り変わって行く頃の札幌をちょっとのぞいてみましょう。
縄文晩期の札幌
-2つの特徴的な遺跡から
わかること-
当時、おそらくは市域内で最も地盤が安定して水はけが良く、どこへ移動するにも都合が良くて暮らしやすかった場所のひとつが発寒川扇状地の扇端部でした。今の西区二十四軒あたりから地下鉄発寒駅界隈にあたります。JR琴似駅のすぐそばで見つかった「N30遺跡」では、当時の川縁に家を建て、小さな集落をつくり、小~中型の哺乳類をはじめ、鳥類、ハ虫類、魚類、海獣類、木の実など、様々な食材を利用して暮らしていました。戸数は少ないものの、家の周囲には無数の屋外炉(たき火跡)が見つかっていて、その周りからは大量の土器や石器が出土しました。勾玉やコハク玉といった装飾品なども含めて、総数約7万点にのぼる大量の遺物が発見されたことがこの遺跡の特徴です。なかでも目を引くのは、お墓に副葬されたサメの歯を使った祭祀具?(あるいは装身具)と、そのお墓の縁に置かれていた土偶です。土偶はバラバラに壊された状態で見つかりましたが、すべてのパーツを接合してみるとほぼ完全な形に復元できました。その姿は、手足が省略された人の形を模していて、髪を結ったような頭部、顔は仮面をつけたように張りだし、体には「工字文」と呼ばれる文様が全面に刻まれていました。この文様は、当時、東北地方で広く用いられていた土器の文様で、縄文晩期には既に東北地方の人々と、物理的にも精神的にも活発な交流があったことを示す貴重な資料となっています。
ここで、ふと疑問がわいてきます。二十四軒あたりだと、当時は既に相当内陸に入った位置にあったはずですが、彼らは一体どんなルートを使って海の向こうの地域との交流を行っていたのでしょうか?
縄文の人々が遠方と行き来する際は、通行の道しるべとして河川が重要な役割を果たします。この頃、河川の姿や流路は、現在の河道とはまったく異なっていて、その疑問に答えるためのキーポイントとなるのが、実は、今も昔も札幌の母なる大河といえる“豊平川”なのです。豊平川は、氾濫を繰り返しながらその河道を西から東へ変えていった暴れ川として知られていますが、元々は札幌扇状地の西縁を流路として八軒界隈から北へ流れ、篠路・茨戸あたりで石狩川に合流していたものが、縄文から続縄文に移り変わる頃には現在の伏古札幌川、そして旧豊平川から対雁方面にその本流を変えていったと考えられており、この流れが内陸部と沿岸部を結ぶ重要な交通路として機能していたのです。まさにN30遺跡の人々は、豊平川を下って石狩川から外海へ出て、東北地方などとの繋がりを深めていたのでしょう。
さて、ここでもう一つ興味深い遺跡が登場します。それが、当時の豊平川下流域に位置し、石狩川からもほど近い場所にある「丘珠縄文遺跡(H508遺跡)」です。N30遺跡とほぼ同時期に営まれたこの遺跡は、無数のたき火跡と大量の土器や石器など、遺構・遺物の出土状況がN30遺跡と酷似しています。ただし、両者が決定的に違うのは、丘珠縄文遺跡の方が標高が低く地盤の緩い北部低地に位置し、住居などの暮らしの痕跡が見つかっていないということです。これが何を意味するのかは、今後の調査を待たなければなりませんが、丘珠縄文遺跡においては、N30遺跡に比して、より顕著に東北地方との関わりがあることを、出土遺物から窺い知ることができます。特筆されるのは、「砂沢式土器」や「イモガイ形土製品」などが発見されたことで、砂沢式土器は東北地方の縄文晩期~弥生初頭に位置付けられる土器、切断したイモガイの殻頂部を模造したものとされるイモガイ形土製品は、北東北の縄文晩期に現れる特徴的な遺物であり、これらそのものが彼らとの直接的な交流を示す物的証拠と言えるのです。
ほぼ同時に存在していたこのふたつの遺跡と北東北との関係性を考えるとき、点から線へと繋がるいくつもの風景が見えてきます。地盤が安定していて豊かな水が湧き出す扇状地に位置し、集落を養うに十分な環境が整っている「N30遺跡」。低地部であっても活動拠点となる微高地が存在し、食用に資する動植物が豊富で、その目と鼻の先には、外海と内陸部をつなぐ玄関口となる石狩川河口部がある「丘珠縄文遺跡」。そして、それぞれの場所には、人か物が動かない限り、そこには存在し得ないものがあるということ。これらの遺跡は、縄文という時代にあっても、個人や集落単体では社会は成り立たない、あるいは社会自体、他者との関係性があって初めて成立し、そこから個性あふれる文化が生まれてくるという普遍の事実を、私たちに思い出させてくれます。
こういった遺跡を俯瞰すれば、縄文晩期に限らず、縄文時代全般にわたって列島各地には地域性があり、広い範囲で似たような土器をつくる文化や特定の地域でしか調達できない生活必需品(例えば、黒曜石やヒスイ、アスファルトなど)などの存在も考えると、相当早い段階で壮大な縄文の情報流通ネットワークが存在していたということを容易に想像することができます。
その後、縄文文化から続縄文文化に移り変わると、札幌は、南の弥生文化とサハリンなどからの北の文化が交わる拠点的な場所になっていきました。物流だけでなく文化の交流拠点としての役割を担う姿は、現在の札幌と通じるものがあります。
この札幌の地で、数千年も前に生きていた人々が作り、実際に使っていたホンモノの道具たちを目にしたとき、今の札幌のまちと暮らしが、縄文の暮らしの延長線上にあることを、まさしく肌で実感することができるでしょう。そして、地形や環境の変化に適応し、自然と共生しながら遙かな時を重ね、心豊かで安定した社会を実現した縄文人の暮らし方は、現代の私たちが目指す持続可能な社会について考えるヒントになり得るかもしれません。
体験学習施設
「丘珠縄文遺跡」
約2万5千㎡の広さがある縄文晩期~続縄文初頭の遺跡で、札幌市内で初めての縄文体験学習施設として整備されました。継続的な発掘調査が現在も行われており、これまで見つかった出土品の一部は「おかだま縄文展示室」で実際に見ることができます。また「おかだま縄文体験学習館」では、火おこしや土器パズル、土器づくり・玉づくりなどの様々な縄文体験(事前募集制、有料のものもあり)ができます。
-
おかだま縄文体験学習館
- 札幌市東区丘珠町574-2
- 9:00 ~ 17:00
- 入館無料
- 11月6日~4月28日まで
-
おかだま縄文展示室
-
札幌市東区丘珠町584-2
展示室:さとらんどセンター2F西側 - 9:00 ~ 17:00
- 見学無料
-
11月4日~4月28日までの月曜日
(祝日の場合その翌日)、年末年始
-
札幌市東区丘珠町584-2
アクセス
-
あり
【最寄り駐車場】
体験学習館:さとらんど第4駐車場/展示室:さとらんど第1駐車場 -
地下鉄東豊線環状通東駅/中央バス/丘珠高校前下車、または中央バス/東苗穂14条1丁目下車、徒歩10分。
地下鉄南北線「北34条駅」、地下鉄東豊線「新道東駅」/中央バス/丘珠高校前下車、徒歩10分
札幌市埋蔵文化財センター
埋蔵文化財センター展示室では、札幌市内の発掘調査で見つかった土器や石器など(実物)を通史的に展示しており、旧石器時代からアイヌ文化期まで遺跡の変遷を学ぶことができるほか、N30遺跡出土土偶や、擦文文化の竪穴住居跡のくぼみが約720か所記録されている「旧琴似川流域の竪穴住居跡分布図」といった札幌市指定有形文化財を見ることができます。(※土偶及び分布図は、レプリカを展示)
アクセス
- 札幌市中央区南22条西13丁目
- 8:45 ~17:15
-
国民の祝日、振替休日、年末年始
(ただし、5/3~5、11/3は開館) -
市電/中央図書館前下車
じょうてつバス/南21条西11丁目下車
ストーリーに関連する文化財
文化財の名称 | 指定等の状況 | 所在地 |
---|---|---|
丘珠縄文遺跡 (H508遺跡) |
指定なし | 東区丘珠町 |
丘珠縄文遺跡 (H508遺跡) 出土品 |
指定なし | 東区丘珠町おかだま縄文展示室ほか |
北海道大学キャンパス内の人類遺跡・北海道大学埋蔵文化財調査センター展示室 | 指定なし | 北区北17条~18条西11丁目ほか |
N30遺跡 | 指定なし | 西区二十四軒 4条1丁目 |
北海道大学附属植物園敷地内の人類遺跡 | 指定なし |
中央区北3条西8丁目 北海道大学北方生物圏フィールド科学センター耕地圏ステーション植物園 |
北海道知事公館敷地内の 竪穴住居跡 |
指定なし | 中央区北1条 西16丁目 |
藻岩・円山 原始林 |
天然記念物 | |
札幌市N30遺跡 出土品 |
札幌市指定有形 文化財 |
中央区南22条西13丁目 札幌市埋蔵文化財センター展示室 |
豊平川 | 指定なし |
※上記一覧には、公開されていないものもあります。
ストーリーに関連する文化財を
めぐってみよう!
-
1
丘珠縄文遺跡(H508遺跡)
約2500~2200年前頃の縄文晩期後葉から続縄文文化前葉頃にかけての遺跡です。縄文晩期後葉以降に、札幌北部の平野部に人々が進出し、繰り返し利用したことによってのこされた遺跡と考えられます。
-
丘珠縄文遺跡
(H508遺跡)出土品縄文晩期後葉から続縄文文化前葉頃にかけての土器や石器のほか、砂沢式土器、イモガイ形土製品、琥珀製平玉などが出土しています。出土品の一部は、おかだま縄文展示室で見学が可能です。
-
2
北海道大学キャンパス内の人類遺跡・
北海道大学埋蔵文化財調査センター展示室約5000年の歴史が眠る北大札幌キャンパスは、その土地のほぼ全てが遺跡に登録。展示室では出土品が展示されています。
-
3
N30遺跡
平成7・8年撮影写真を合成JR琴似駅のすぐそばに、北海道職業能力開発促進センター(現ポリテクセンター北海道)を立てる前に、発掘調査を行った縄文時代後期と晩期の遺跡です。
-
3
N30遺跡 現・ポリテクセンター北海道
遺跡から出土した縄文時代後期から晩期にかけての1,413点の資料が、札幌市指定有形文化財に指定されています。
-
4
北海道大学附属植物園
敷地内の人類遺跡植物園の敷地全体がC44遺跡であり、敷地内では、約1000年前の擦文文化の竪穴住居跡が地形の窪みとなって残る様子などを実際に目にすることができます。
-
5
北海道知事公館敷地内の竪穴住居跡
様々な会議や行事に広く使われている知事公館の敷地内には、約1000年前の擦文文化の竪穴住居跡が地形の窪みとなって残る様子が復元されています。
-
6
円山原始林
札幌駅から車でわずか15分ながら多くの自然が残り、樹齢150年もの大木が息づく場所。標高は226mと比較的低く、気軽に登山が楽しめます。
-
7
札幌市N30遺跡出土品
縄文晩期のお墓の底からは、祭祀具又は装身具に装着されていたと考えられるサメの歯、お墓の上部からは、顔に仮面をつけたと言われる大型の土偶が出土しています。
-
札幌市埋蔵文化財
センター展示室札幌市中央図書館に併設された展示室。札幌市で発掘された旧石器文化からアイヌ文化期までの実物資料や遺跡の写真パネル等を展示しています。
-
8
藻岩原始林
札幌市のほぼ中央に位置する藻岩山(標高531m)の一部。代表的原始林であり、稀有の森林植物相を存することから学術上価値の高いものです。
-
9
豊平川
豊平川によって形成された扇状地の上には、縄文中期以降の各時期にわたって遺跡が残されています。豊平川は、昔も今も台地を潤す貴重な河川です。
文化財周辺の
おすすめ観光スポットを紹介!
-
-
-
-
クラーク亭
安い!美味しい!ボリューム満点!北大生に圧倒的支持を得ている、コスパ最強のお店です。人気は、ふんわり食感のハンバーグ。
札幌市北区北12条西4丁目10-3 LEE SPACE 北大前 1F
-
北海道庁旧本庁舎(赤れんが庁舎)
1888年に建てられたアメリカ風ネオ・バロック様式の煉瓦づくりの建物。現在の庁舎ができるまで約80年に渡って道政を担いました。
※令和7年3月までリニューアル工事のため休館
札幌市中央区北3条西6丁目1
-
-
-
札幌ジンギスカン キッチン毘沙門 本店
冷凍しない生ラム肩ロースが絶品 。厳選して仕入れた、クセもなく柔らかい生ラムジンギスカンが味わえます。
札幌市北区北13条西4丁目1-15 札幌クラークホテル 1F
-
-
-
-
-
-
-
- 発行
-
札幌市歴史文化のまちづくり推進協議会
(事務局:札幌市市民文化局文化部文化財課) - 札幌市中央区北1条西2丁目札幌時計台ビル10階
- 電話 011-211-2312
- 令和4年3月