風物詩編ストーリー 札幌の季節を満喫する ー 自然と人が織りなす豊穣な四季 ー
冬は氷点下の気温が続き、夏は30度を超える日も珍しくない札幌は、四季がはっきりしていると言われます。都心のビル街から手の届く距離に見える山々は、大都市の生活に潤いを与えてくれるのです。その楽しみをさらに深め盛り上げるのが、人の営みと、いつもどこかで開催される多彩な祭りや行事。札幌を彩る四季折々の風物詩を集めました。
桜も梅も、札幌では5月の花
雪解けが進む3月にはふきのとうや福寿草、4月には円山原始林でエゾエンゴサクが白や水色、薄紫色などの可憐な花を咲かせます。同時に、水辺ではミズバショウが見頃。冬の終わりを待ちわびたかのように、北海道の春はさまざまな花が短い期間に一斉に、エネルギッシュに咲き出します。北国の草花は春を迎える人々の喜びと共鳴するのです。
札幌の桜の開花日は4月下旬から5月上旬。ゴールデンウィークと重なり、花見の名所は連日賑わいます。桜の下でジンギスカンやバーベキューを楽しむ市民が多いのも北海道ならでは。エゾヤマザクラやソメイヨシノなど約160本が咲き競う円山公園は普段は火気厳禁なのですが、この時期だけ特別に火の使用が許可され、炭火コンロの貸し出しも行われます。市内には他にも桜の名所がいくつもあり、中央区の北海道神宮参道や中島公園、東区のモエレ沼公園、豊平川桜の杜、西区の農試公園、南区の紅櫻公園などが知られています。
また、本州などでは桜よりもかなり早い梅の開花が、札幌では桜とほぼ同時の5月上旬。清田区の平岡公園には1,200本もの梅の木が植えられており、開花期間中には10~20万人が訪れます。
5月下旬、街がライラックに彩られる頃、北海道大学構内ではクロユリの群生地が見頃を迎えます。本州では高山植物として知られていますが、北海道では低地で花を咲かせるのです。昭和初期にはその数が激減してしまいましたが、再生プロジェクトにより平成18年(2006年)によみがえりました。
ライラックが爽やかな街
昭和30年(1955年)6月16日付の北海道新聞朝刊に掲載された歌人・吉井勇の短歌が、当時の札幌市民の心を掴みました。
家ごとにリラの花咲き札幌の
人は楽しく生きてあるらし
リラはフランス語でライラックのこと。吉井が札幌に滞在したのはわずか1週間でしたが、ライラックの紫や白の花が公園や家々の庭に一斉に咲く風景は、異国情緒を感じさせ、強く印象に残ったのでしょう。
原産はヨーロッパで、明治中期に北星学園を創立したサラ・クララ・スミスが、アメリカから初めて持ち込んだといわれています。札幌の冷涼な気候に合うことからたちまち広まり、ついには昭和35年(1960年)に「札幌市の木」に制定されました。スミスが持ち込んだとされる札幌最古の木が、北海道大学植物園内に植えられています。
大通公園には約400株のライラックが植えられ、5月下旬のさっぽろライラックまつりでは記念樹の配布やコンサートが行われます。また、この時期にはまだ気温が安定せずに急に寒くなることがあり、「リラ冷え」と呼ばれています。
島義勇判官をしのぶ桜
札幌神社(北海道神宮)の位置を決めた開拓判官・島義勇は、故郷に戻り佐賀の乱で命を落とします。親しかった福玉仙吉は、札幌の桜が見たいと言っていた島に捧げようと、山々を歩いて集めた桜の若木150本を札幌神社の参道沿いに植えました。これが神宮の桜の始まりなのです。
※福玉仙吉とは:明治2年(1869年)島義勇の従者として共に佐賀から札幌を訪れ、翌年に島は罷免され帰京しましたが、福玉は札幌に留まり手稲村で農業を営んで暮らしました。
心躍る、華やかな札幌まつり
5月15日に都心部の三吉神社で例祭が行われると、6月上旬のYOSAKOIソーラン祭り、そして6月15日の札幌まつり(北海道神宮例祭)と、都心部の祭りが続きます。札幌まつりの期間中、神宮境内ではさまざまな奉納行事が行われ、中島公園には見世物小屋や露店が約400軒も並びます。往時は市内の職場の多くが休日になり、街では商店ごとに軒花や献灯を飾って祭り気分を盛り上げたものでした。
6月16日には開拓三神と明治天皇の4基の鳳輦(神輿)が市内を練り歩き、明治新政府による官立の神社らしく、王朝絵巻のような装束でうやうやしく運ばれるのです。戊辰戦争の官軍を模した維新勤王隊が「ピーヒャラ、ドンドンドン」と勇壮な演奏で鳳輦を先導するのも特徴的です。そんな「朝廷風」の行列の後に従う各祭典区の山車9基は、趣を変えて「庶民」の行列。色彩が豊かで、お囃子や手踊り、仕掛け人形などで目も耳も楽しませます。先頭から最後尾まで約1.5kmにもなる行列は、その年の年番祭典区や都心部を中心に、10~15kmを1日かけて歩きます。昔は馬が山車を引いたものでしたが、馬の調達などが難しくなった今では乗用車やトラクターが引いています。
子どもたちの楽しみは、何と言っても中島公園の見世物小屋や露店でしょう。まだ市街地が広がっていなかった時代、神宮(札幌神社)は札幌市民が気軽に参拝するには少し遠かったようです。そのため、都心に近い創成川沿いに露店が立ち並んだのが始まりでした。しかし、混雑が激しくなると狭く危険な上に、交通の妨げにもなってしまうことなどから、昭和30年代に現在の中島公園に移転しました。
ところで、札幌市民の間で長年言い伝えられてきたのが「三吉神社の祭りが晴れ(雨)なら、札幌まつりは雨(晴れ)」というジンクス。過去の気象の記録を調べてみると、実際にはジンクス通りにはなっていない年の方が多いようです。
札幌の気候がビールをうまくする
さっぽろ夏まつりのメインイベントの一つとして大通公園で約1か月間開催されるビアガーデンは、総席数約13,000席を誇る国内最大級のビールの祭典。短い夏を楽しむ市民や観光客で盛り上がります。
観光客の誘致と市民のレクリエーションを目的に、「商工夏まつり」の名で昭和29年(1954年)に始まったさっぽろ夏まつり。初期のメイン会場は中島公園で、音楽演奏や七夕まつり、子ども相撲、ホタル狩り、盆踊り、仮装パレードなど多彩な催しが展開されました。中でも、仮装パレードはコンテスト方式だったこともあり人気を集めたようです。昭和32年(1957年)からメイン会場が大通公園に移りました。
その大通公園で初めてビアガーデンを開催したのは昭和34年(1959年)。日本バーテンダー協会やビール会社の協力で、収益金の一部を福祉団体に寄付する「福祉協賛」の企画として実現しました。回想記事によれば、札幌観光協会のメンバーから「祭りにはお神酒がなけりゃ駄目じゃないか」という声が出たことがきっかけの一つだったのだとか。当時は大通公園のようなオープンスペースでのビアガーデン開催例がほとんどなかった上に、日中から飲酒することを不道徳だと考える人が多かった時代。不安の声もありましたが、フタを開けてみれば連日大盛況で、関係者たちをホッとさせたのです。札幌の夏のカラッとした暑さと爽やかな風の中で飲むビールは格別だと評判になり、風物詩として定着しました。
札幌とビールの関係は、開拓使時代の明治9年(1876年)に官営工場の一つとして麦酒醸造所が設立されたことに始まります。北海道の農産物の商品価値を高める加工品として、開拓使ではビールに着目していました。当初、醸造所は東京に開設される予定でしたが、これに異議を唱えたのが、ヨーロッパ留学を経験した薩摩藩出身の村橋久成。原材料の産地に近く、扇状地の末端で良質な伏流水が豊富、しかもヨーロッパに似た冷涼な気候の札幌にこそ醸造所を建てるべきだと訴えたのです。豊かな水脈と「メム」(アイヌ語で泉の意味)があった創成川の東側には、ビール以外にもさまざまな食品工場が建ちました。
盆踊りは子どもと大人の2部制
8月中旬になると、市内のあちこちで盆踊りが開催されます。会場によっては参加した子どもたちにお菓子が配られることもあって、ワクワクした思い出を持つ市民も多いのではないでしょうか。北海道の盆踊りは、子どもの部(早めの時間)と大人の部(遅めの時間)の2部構成であることが多く、子どもの部では「子供盆おどり唄」が、大人の部では「北海盆唄」が演奏されるのが一般的。どちらも北海道で生まれた曲です。
北海盆唄の元になったのは、炭鉱で働く人々の間で自然発生的に歌われた即興の歌。決まった歌詞はなく、時にはお酒に酔って羽目を外し、子どもたちにとても聞かせられないような歌詞で歌われることも。そこで戦後、子どもたちが安心して楽しめるようにと企画され、江別市の童謡作家・坪松一郎が作詞、山本雅之が作曲して昭和27年(1952年)に誕生したのが「シャンコシャンコ」でおなじみの「子供盆おどり唄」でした。
一方、大人の盆踊りの歌も数多く作られています。テレビ局が歌詞を公募し、あるいはレコード会社が作詞家に依頼するなどして、300を超える新たな歌詞が誕生。そして昭和33年(1958年)に三橋美智也の歌でレコード化されると、北海盆唄は全国的にも知られるようになったのです。
大人と子どもを分ける理由がなくなった今も、北海道での盆踊りでは2部構成が2つの歌と共に受け継がれています。さっぽろ夏まつりの北海盆踊り(大通公園)では、観光客が飛び入り参加する光景も見られます。
短い夏から錦織りなす季節に
8月も下旬になると、朝夕の風が涼しく感じられるようになります。時々戻ってくる暑さも9月上旬には落ち着き、早ければ10月下旬には降る初雪に向かって、季節が慌ただしく動きます。山の頂上から始まる紅葉は、徐々にふもとに広がり始めます。
市街地にも紅葉の季節が到来したことをいち早く告げるのが、街路樹や公園などでよく見かけるナナカマド。真っ赤な実をつけ葉も赤く色づき始めると、市民は本格的な秋を感じ、いよいよ冬が近いことを再確認するのです。市内のおもな紅葉スポットは、おおむね9月下旬から10月上旬にかけて色づき始め、中旬から下旬にかけて見頃を迎えます。
北海道大学の北13条門から約350m続くイチョウ並木は、10月下旬に黄金色のトンネルとなり多くの人が訪れます。この時期に合わせて北大金葉祭が開催。イチョウのライトアップや落ち葉を使った自然工作体験などで楽しませてくれます。
郊外では、何といっても豊平峡ダムなど定山渓エリアが人気。札幌国際スキー場ではゴンドラの特別運行が実施され、空中から眺める色鮮やかなパノラマは格別です。
また、実りの秋を祝い、味覚を楽しむ新しい風物詩として平成20年(2008年)に始まったのが、大通公園を中心に開催される「さっぽろオータムフェスト」。丁目ごとに異なるコンセプトで、道内各市町村の特産品、旬の食材、ご当地グルメやラーメン、お酒などのうまいものが全道から集結します。
昔も今も札幌市民が愛する、
定山渓の紅葉
定山渓エリアは昔から紅葉の名所として市民に親しまれてきました。かつて職場ごとに盛んだった観楓会(秋の慰安旅行)では、今はない定山渓鉄道に乗って車窓の絶景をのんびりと眺めながら温泉に着くのがサラリーマンの楽しみだったそう。現在でも、温泉街の二見吊橋や錦橋の渓谷、白糸の滝、豊平峡ダムなどが人気です。
日本初の大規模イルミネーション
クリスマスが近づくと全国各地でイルミネーションイベントが行われます。東京の原宿表参道や、長崎のハウステンボス、神戸のルミナリエなどが特に有名ですが、実はその先駆けだったのが、札幌のホワイトイルミネーションなのです。
今から40年ほど前、札幌の観光は春から夏が中心でした。札幌市では、観光客の少ない季節の魅力を伝える方法を模索。そのヒントとして検討されたのが、アメリカ・ニューヨークのロックフェラーセンターのクリスマスツリーでした。イルミネーションの点灯式には有名なミュージシャンがライブコンサートを行い、ツリーの周りは観光客や地元の人々で常に混雑しています。これを札幌でもできないか、と話し合われました。
そして昭和56年(1981年)12月12日、「ホワイトイルミネーションさっぽろプラザ」という名前でそれが実現。大通公園に白いクリスマスツリーの形のオブジェが1基設置され、1,048個の電球に光が灯ります。オブジェの下ではエレクトーンのライブ演奏も行われました。その様子は全国に伝えられます。
会場は少しずつ広がり、昭和60年(1985年)には当時の自治省と札幌市から「都市景観賞」が贈られました。この頃から、全国で観光を目的としたイルミネーションイベントが盛んに行われるようになったのです。
現在は電球に替わり、約81万個のLEDが街を幻想的な光で包んでいます。
狸小路の現金つかみどり
狸小路商店街の歳末名物企画「現金つかみどり」は、昭和24年(1949年)から始まりました。狸小路で買い物をすると抽選券がもらえ、抽選に当たれば挑戦できる仕組み。現在は千円札が使われますが、昭和33年(1958年)には発行開始直後の一万円札のつかみどりが実施され、世間を驚かせました。
中高生が始めた、さっぽろ雪まつり
今や国内はもちろん、海外でも広く紹介されるさっぽろ雪まつり。始まったきっかけが、終戦後に増え続ける青少年の犯罪を何とかしたいという商工関係者の思いからだったことは、あまり知られていません。
参考になったのが、小樽の北手宮小学校で戦前から行われていた雪像作りの行事「雪祭り」。若者たちがエネルギーを発散する場にもなり、観光客を呼び込むこともできて、一石二鳥だと考えたのです。
昭和25年(1950年)2月、雪捨て場になっていた大通公園の西7丁目で札幌市内の中学校2校・高校3校の生徒たちが、美術科教諭の指導を受けながら6基の小雪像を制作。当時は煤煙で薄黒い雪を一度山に積んで踏み固め、ノミで削り出す方法で、現在の精巧な雪像に比べると荒削りの仕上がりでした。また、雪像の他に歌謡コンクール、スクエアダンス、演芸大会、犬ぞりレース、スキー仮装行列、映画の上映なども行われたそうです。多くの市民が集まり大成功。翌年以降も継続することになりました。
昭和28年(1953年)の第4回で伏見高校(現札幌工業高校)が制作した「昇天」は、高さ15mもある大きなものでした。生徒たちは事前に大通周辺の建物の高さを測り、雪像の大きさを決めたといいます。「雪で作ったものはすぐに壊れる運命にある。それならより大きいもので皆さんに喜んでもらおう」という発想がきっかけだったそうで、これが後の大雪像の始まりでした。
翌年の第5回からは市民雪像が加わり、第6回からは陸上自衛隊も雪像制作に参加。しかし一方で、中学生・高校生による雪像制作は受験や就職活動との両立が困難になってきたことからこの年で打ち切られます。
昭和30~40年代に、雪まつりは全国に、そして世界に知られるようになりました。第2会場として真駒内会場が設けられたのは昭和40年(1965年)から平成17年(2005年)。
陸上自衛隊真駒内駐屯地の広大な敷地には滑り台のある大雪像が並び、特に子どもたちの絶大な人気を集めました。
現在は大通公園、つどーむ、すすきの(氷の祭典)の3会場で開催。国際雪像コンクールなども行われています。
ストーリーに関連する文化財
(令和5年3月時点)
文化財の名称 | 指定等の状況 | 所在地 |
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円山原始林 | 国指定 天然記念物 |
札幌市 円山 |
円山公園 | 指定なし | 中央区宮ヶ丘 |
北海道大学の クロユリ |
指定なし |
北区北11条 西10丁目 (北海道大学構内) |
札幌最古のライラック (北海道大学植物園内) |
指定なし | 中央区北3条 西8丁目 |
北海道大学 植物園 |
さっぽろ・ふるさと文化 百選 |
中央区北3条 西8丁目 |
大通公園 | さっぽろ・ふるさと文化 百選 |
中央区大通西 1~12丁目 |
ライラックまつり | 指定なし | 中央区大通西5、6丁目 |
三吉神社 | 指定なし | 中央区南1条 西8丁目 |
YOSAKOIソーラン祭り | 指定なし | 札幌市中央区他 |
札幌まつり (北海道神宮 例祭) |
さっぽろ・ふるさと文化 百選 |
中央区宮ヶ丘474 北海道神宮内 |
中島公園 | さっぽろ・ふるさと文化 百選 |
中央区中島公園 |
ビアガーデン (さっぽろ 夏まつり) |
指定なし |
中央区大通西 5~8、10、 11丁目 |
サッポロビール博物館 (旧札幌麦酒製麦所) |
札幌景観資産 第31号 さっぽろ・ふるさと文化 百選(建物) |
東区北7条 東9丁目1-1 |
北海盆唄、子供盆おどり唄 | 指定なし | 市内各所 |
北大金葉祭 | 指定なし | 北区 北13条 西5~7丁目 |
さっぽろオータムフェスト | 指定なし | 中央区大通西 4~11丁目 |
さっぽろホワイト イルミネーション |
指定なし | 中央区大通西 1~6丁目 |
ミュンヘンクリスマス市 | 指定なし | 中央区大通西 2丁目 |
狸小路 | さっぽろ・ふるさと文化 百選 |
中央区南2西 1~9丁目 |
さっぽろ雪まつり | 指定なし | 中央区大通西 1~12丁目 |
※上記一覧には、公開されていないものもあります。
ストーリーに関連する文化財を
めぐってみよう!
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1
北大金葉祭
イチョウの名所、北海道大学キャンパスで毎年10月下旬ころ開催される秋祭り。350mにも渡る並木のライトアップは壮観です。
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2
北海道大学のクロユリ
作家・有島武郎ゆかりのクロユリ。姿を消した群生地を、有島が創立した北大美術部『黒百合会』関係者が復元しました。見頃は5月下旬頃。
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3
サッポロビール博物館(旧札幌麦酒製麦所)
明治の面影を残す北海道遺産。サッポロビールが北海道開拓事業から歩んできた道のりを体感できる施設です。
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4
札幌最古のライラック
1890年、北星学園の創設者サラ・クララ・スミス女史が、米国の自宅から持ってきて北大植物園に植えたと言われています。
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5
北海道大学植物園
広さ13.3haの園内には北海道の自生植物が約4000種。春には可憐な花々を、秋には色鮮やかな紅葉が楽しめます。
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6
北海盆唄・子供盆おどり
北海道の夏の風物詩の一つ、北海盆踊り。時代を超えて愛され続ける子供盆おどり唄は、北海道民のソウルソングです。
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7
三吉神社
札幌中心部に鎮座する三吉(みよし)神社の愛称は「さんきちさん」。毎年5/15の例祭日には奉納能が盛大に行われます。
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8
円山公園
お花見スポットとしても人気の円山公園。コロナ禍前までは、ジンギスカンを囲む北海道のお花見スタイルが名物でした。(2023年は火気使用不可)
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9
札幌まつり
毎年6月14日~16日に開催される北海道神宮例祭の通称。100年以上の歴史があり、平安時代の絵巻物さながらの「神輿渡御」は見もの。
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10
円山原始林
札幌駅から車でわずか15分。多くの自然が残り、樹齢150年もの大木が息づいています。標高は226mと比較的低く、気軽に登山が楽しめます。
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11
中島公園
市のほぼ中心部に位置する中島公園は、豊かな水と緑を有する市民の憩いの場。日本の都市公園100選にも認定されました。
文化財周辺の
おすすめ観光スポットを紹介!
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スカリーズ マルヤマ
おしゃれでゆっくりくつろげる大人の為のオーガニック・カフェ・ダイニング&イタリアン・バー。北海道をメインに生産者から直接仕入れる上質な食材を丁寧に調理します。
札幌市中央区南5条西25丁目2-5 Court南円山 1F
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札幌ジンギスカン キッチン毘沙門 本店
冷凍しない生ラム肩ロースが絶品 。厳選して仕入れた、クセもなく柔らかい生ラムジンギスカンが味わえます。
札幌市北区北13条西4丁目1-15 札幌クラークホテル 1F
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パフェ専門店 幸せのレシピ〜スイート〜大通店
札幌発祥と言われる『シメパフェ』はいかが? 趣向を凝らした、可愛らしい、おとぎ話のような斬新なパフェが特徴です。
札幌市中央区南2条西4丁目 第2コンタクトオフビル1F
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- 発行
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札幌市歴史文化のまちづくり推進協議会
(事務局:札幌市市民文化局文化部文化財課) - 札幌市中央区北1条西2丁目札幌時計台ビル10階
- 電話 011-211-2312
- 令和5年3月